鳳凰三山から下山した僕は、目標が無くなってしまった地上の世界でうつむいていた。
前回一緒に鳳凰三山に登ったワンゲル部のTは、夏休みに入ると部活の合宿で南アルプスに10日前後の長期縦走に行くと言っていた。
Tの話が羨ましく思えてしまったこと、学生の間にしか出来ないということ、体力的に今がピークだと思われること、そして日常に物足りなさを感じているということ。
たくさんの事情が、僕にひとつの目標を打ち立てさせた。
僕も南アルプスを縦走する。
出来れば、他の人に長期縦走だと説明できる程度は日数をかける。
山に登り始めるようになったのが2か月前の僕が、かなり思い切った決断をした。
今やらなかったら、きっと、いつまでたっても中途半端な山しか出来ないと思った。
それほど本気で山をやってみたかった。
それから連日のようにTからルート選定や山の知識、装備などのアドバイスを受けた。
装備がある程度固まり、具体的な日程も決まってバスも予約した。
9月21日(テン場前泊)~29日までの8泊9日の予定だ。
9月の上旬に装備の最終テストということでTと八ヶ岳に行った。
この八ヶ岳が、僕にとって生涯忘れることのできない山行になった。
鳳凰三山から降りてから、長期縦走を見据えて丹沢、赤城山、雲取山などでトレーニングをしていたからか、体力的にはかなり余裕ができたこと実感した。
やっと登山を楽しむことが出来る体になったことが、まずは嬉しい山行だった。
赤岳から見た横岳。風が吹いて雲が切れるのをじっと待って撮影した。
「長期縦走やるから、見とけ。しかもこのままじゃ十中八九単独だぞ。すげーだろ。」
『組織で登るっていうのも、ルールが多すぎて大変ですよ。僕はアスカさんと自由に登るのが楽しいです。』
「きちんとした技術を学べるのは素晴らしいことだよ。僕は夏山には抵抗がなくなったけれど、雪山にはまだ当分行ける気がしない。」
『北海道出身なのに、雪が怖いんですね。登山のシーズンは冬が本番ですよ。』
「多分社会人になったらきちんとした団体に入るよ。いつか一緒に雪があるここに来よう。」
『ザイルパートナーですね。良いですね。』
そんな約束を赤岳の山頂でTと交わした。
しかし、Tと登る山は、この赤岳が最後になった。
おそらく、Tには僕には分かり得ない大きな悩みがあったんだろう。
八ヶ岳の星空の下で、熱いコーヒーをすすりながら語り合ったTの口からは、言いたくても言い出せないものがあったんだろう。
ザイルパートナーというのは、お互いの命を預けあう仲だ。
僕はまだ、そんな約束をTと出来る関係ではなかった。
なあ、T。
今でもこの写真を見ると思い出すよ。
これまでも、これからも結構山に登ったけどさ。
お前と登った山、楽しかったよ。すげーキラキラしてたよ。
今でもね、山に入るとまずは一瞬お前のことを思い出すよ。
二人とも金ないから山でうどんとか食べてさ。
この写真を取った後、お前のうどんの包装、飛んでっちゃったんだよなあ。
取りに行こうと思ったけどもう見えなくなってて、「1つごみを出しちゃったら3つ拾えば山の神様は許してくれる!」なんて言いながら、神経質なほどごみに注意して縦走したよな。
この稜線をお前とザイルを結んで歩いてみたかったよ。
その時は山の実力が同じくらいになっていると良いなあ、なんて思ってたよ。
いつかお前の分のピッケルも持って赤岳に行くよ。
今でも相変わらずお金ないから、安物で勘弁してな。
僕が山岳会に入るのは、残念ながらまだ先のことになりそうだよ。
今はまだ、やることがあるからさ。
やり残したこと、まずはやり切ってから次のステージに行くよ。
僕らのアルピニズムって、自分の心の弱さと向き合うためだって結論出ただろ?
越えなきゃいけないものがあるんだ。
勝たなきゃいけないのは、きっと自分なんだ。
お前なら、きっと分かってくれるよな。
まあ、上から見ててくれよ。
アスカ