富士登山(富士山)

2011年8月に、ダブルスクールの学校で出会った仲間たちと富士登山を行った。
実は昨年の陣馬山への日の出ラン(「初めての登山(陣馬山)」)を境に、自転車をはじめとするアウトドア活動から大きく離れていた。
資格試験の勉強が本格化し、「やるならば本気でやらなければならない」という状況になったからだった。
現にこの年のアウトドア活動は、ゴールデンウィークに自転車で伊豆大島を1泊2日(フェリーで夜を明かしたのを含めると2泊3日)でツーリングしたことと、富士登山を行っただけだった。


三原山の雄大な火口に息を呑んだ。


8月にはダブルスクールの資格予備校で知り合った勉強仲間と富士登山を計画した。
登山に関しては実質、これが僕の入口になった。

この時に当初一緒に富士登山に行こうと声を掛け合ったメンバーの中には登山の経験者が居なかった。
そのため高校時代の後輩で同じ大学に進学していた友人に声をかけて同行してもらうことになった。
彼は僕が高校の生徒会をやっていたときに、応援団長という謎の役職に就いていたので「団長」と呼んでいた。
団長は高校生の時に山岳部のキャプテンをしていて、インターハイまであと少しというところまで登山をやってきた人間だった。
登山を始めるにあたって、彼から登山の基本を教わることが出来たのはその後にとってとても幸いなことだった。

まずは登山靴と雨具を購入することから僕の登山が始まった。
当時アルバイトをせずに大学生と資格予備校の両方に通うという生活をしていた関係上、趣味にかけられるお金はそれほど持ち合わせていなかった。

それでも「下で買える安全は下で買っておけ」とtwitterで知り合った方から言われたこともあり、今後の生活のことなんて知るかという思いでゴアテクスの登山靴と雨具を購入した。

富士登山当日は、行楽シーズンということもあり中央道のひどい渋滞だった。
なんとか吉田口の登山口である5合目に着き、富士山を登り始めた。

高度を上げるにつれ、薄くなるのを感じる酸素量。そして深まる空の青。
風が吹く度に形を変える雲にダイナミズムを感じた。


雲の上まで来たという非日常感が新鮮だった。

DSCF6056 (1)
普段、地上から見上げたときにある空は既に僕らの下にあった。

しかし8.5合目まで登り、そこでカレーを食べていたらメンバーの一人に高山病が発生。
団長と相談し、そのメンバーはこの時点でリタイアという形になった。
少しでも標高を下げたほうが良いだろうということで僕と団長が付き添って7合目の山小屋まで連れて行った。

ところが彼を7合目の山小屋に連れて行った後、そのまま他のメンバーがいた8.5合目まで登り返す最中に僕にも高山病の症状が発生。
少しでも早く戻らなければいけないという焦りが少なからずあったのか、呼吸を乱してしまったことが原因だった。

それでも8.5合目で仲間と合流し、少し休憩したあと再出発。
頭痛と吐き気が酷く、視界もかなりうっすらだったような気がする。
それでも年に何回かしかない趣味に時間を使う機会を無駄にしたくない一心で黙々と高度を上げた。

メンバーにかなり迷惑をかけながらも何とか頂上に辿り着いた。
ここでなら御来光も見れるだろうという場所を確保し、その場にザックに詰め込んであるだけの防寒具を着込んで座り込んだ。

そして徐々に明け始める夜。
富士登山を計画していた時から楽しみにしてきた御来光だ。

DSCF6125 (1)
無意識のうちにシャッターを押していた一枚。これまで浴びてきたどんな光よりも美しい光だった。

実際には高山病の症状がひどくて、100%楽しめたと言えばそれは嘘になる。
しかし、うっすらとまぶたを開いて見た太陽の光の美しさは筆舌し難いものだった。
このとき、この写真を撮っておいて良かった。
この写真がなかったら、この光景をあっという間に忘れてしまうところだった。

完全に明けてから7合目の山小屋に居たメンバーをピックアップして無事に下山。
楽しさのすぐ横にある苦しさを感じ続けた登山だったが、今回もそれ以上の感動を持ち帰ることが出来た。
今となっては自分の高度に対する弱さをある程度自覚できているので、初めての登山でこういった経験が出来たのは良いことだったと思う。

「いつかリベンジに来るよ。」
5合目で下山のためのバスに乗り込むとき、そう心の中でつぶやいた。

「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」という言葉が富士山にはある。
僕はリベンジのために後者の馬鹿になろうと誓った。
次来た時は、ペースコントロールが出来るくらい成長している自分が頂上で最高の御来光を浴びているんだ。

アスカ

SNSでもご購読できます。

コメントを残す